向日性

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「新しい骨董」に「文字数の等価交換」で送ったもの

以下は2017年の8月、「新しい骨董」(http://atarashiikotto.com/)に「月刊 新しい骨董000」をもらうために送ったものだ。本文だけだと2500字くらいなので、前書きで500字足した。

 

“人生の螺旋階段性”について、歴史は当てはまるのか、“歴史の螺旋階段性”はあるのか、というのが最近私が考えていることだ。

“人生の螺旋階段性”ってどういうことかというと、何かに悩んでて、乗り越えたと思っても、2~3年後気付いたらまた同じことで悩んでて、まったく自分ってやつは…て思うんだけど、でも前悩んだ時と全く同じかといったら少しはましになってて、まるで螺旋階段1階分昇ったみたいだな、っていうこと(これを上手く描いているマンガ→志村貴子敷居の住人」)。

で、なんでそんなこと考え出したかというと、山下陽光や松本哉が言ってることをぼんやり聞いてると、会社やめて自分で商売しろって意味なのかなって思うから。
いや、別にそうは言ってないけど、安易に考えると普通に出てくるのはこの答えで。
で、それって単に昔のやり方に戻ってるだけじゃないの? それでいいの? ってちょっと思う。

消費者からしたらイオンモールは楽しいし(一人で行っても楽しくて愕然とした)、コンビニは便利。

でも商店街をシャッター商店街にしたイオンも、20年後は廃墟になってても全然おかしくない。数年前に大月隆寛ツイッターで「廃墟化したアメリカのショッピングモール」の写真を見たので(日本のバブル崩壊が1991年で、アメリカのリーマンショックが2008年。17年のタイムラグ)

だったら“小商い”は正しいのか?
いいとか、正しいとかではなく、単にやり方Aとやり方Bがあって、今の時代に即しているのはどちらか、っていうだけなのかな?(西原理恵子も「ぼくんち」で「商いは小さく持ってこつこつあてる」って言ってるし。)

東浩紀が2017年4月11日のニコ生有料放送「ついに出た! 『ゲンロン0』世界最速読会!!」でコンビニのディストピア性についてこう言ってた。
震災くらいを境にコンビニはある種ユートピアだったのがディストピアの象徴に変わっていった。(中略)いつ何時でも24時間行ったらこうこうと明かりが点いてて、格安でいろんなものが買えるなんて、その背後に死屍累々たる資本の搾取があるのは目に見えているわけで」
ってことはやっぱ“小商い”方面は正しいのか?

 

戦後70年経って既存のシステムにガタがきてて、聡い人達はいち早く次のやり方を模索してて、その一人が山下さんや松本さんやあずまんだったりするのだろう。
いろんな人が「もう今までのやり方は古いよ! 」「今は幕末の時と同じ位目まぐるしいスピードで世の中が変わっていってるんだよ! 」って数年前からさんざん言ってて、私も最近ようやく実感として少しわかってきた。
(「もし自分が今新卒だとしたら、新卒カード使うか?」って毎年考えてて、毎年「いや使うだろ、当たり前」って思ってたのが、この1~2年「え…使う…?」って思うので)

でもそれがイコール会社やめて自分で商売するってことでいいのか?(つうか自分にできるのか?)
もしそうなった場合、螺旋階段の一階分は昇れてるんだろうか。
「歴史は繰り返す」って言葉があるけど、あれは繰り返して同じ場所なの? それとも一階分上がれてるの?
なんか分けわかんなくなってきたから、BSマンガ夜話宮谷一彦」回もう一回見よ! たしか大月隆寛が「この頃『リアル』の手触りが変わった」、夏目房之介が「72年頃に時代ががらっと変わった」って言ってたのを再検証しよう。
(一旦ここで終わり)

ということでBSマンガ夜話「肉弾時代」宮谷一彦2000年放送)約1時間 を見た。

私は79年生まれで、「60年代、70年代、80年代について調べる」のが好きなので(それが90年代、00年代、10年代に繋がってると思うので)、ビンビンくるところがいっぱいあった。

宮谷と大友克洋の対比が番組中何回も言われる。

クライマックスはココ

31:56 夏目房之介「(宮谷は)たぶんものすごく嫌だったんだよ、ほんとに72、3年、昨日の話だけど、72、3年でこの日本の社会がガカーンと変わったのよね。だから大友克洋が一気に出てくるんだけど。その変わったっていうことが彼はすごく嫌だったんだと思う。それに対してカウンターを食らわせたいっていうのがものすごくあって(略)」

岡田斗司夫「72、3年で時代がガカーンと変わったっていうのは分かるんですけど、この人にとっては何が変わったんでしょう。宮谷にとっては」

夏目「さっき青臭いって言ったでしょう。そのまんまなんだよ。つまりマンガも時代も青臭かったんだよ。だからこの人が時代だったんだよ。」

岡田「なんかあれですよね、この人が思うような美学が通じない世の中になっちまったっていう

夏目「そうそうそう」

あとココ

51:54 夏目「そういう話し方してると単なる技術革新って取られるんだよ。そうじゃないんだよね。つまりドキュメンタリーな映像というのが我々にとって日常になった時代にね」

大月隆寛「そういうこと。それそれそれ。絶対それ」

夏目「ドキュメンタリーっていう映像が我々の日常の中にテレビを通じて入ってきて」

大月「リアルが変わったんです」

夏目「リアルな位相が変わったんです。で、それを的確に捉えてマンガに導入した人なんです」

岡田「マンガっていうのが完全なフィクション空間だったのをノンフィクションと混ぜちゃったんですね」

夏目「そうです。そういうことです」

大月「それはマンガだけの問題じゃなくて、映画とか、当時の高度経済成長期終わりかけくらいの情報環境っていうのが変わっていって、我々日本人にとっての本物らしさとか手触りが変わっていったことを反映してるわけですよ」

いしかわじゅん「当時色んな媒体で“リアルであること”っていうのが価値になり始めた」

大月(いしかわ発言にかぶりながら)「ノンフィクション、ルポルタージュ出てきたのこの頃でしょ? 正にそれと時代的にシンクロしてるわけですよ」

夏目「あさま山荘がよく象徴されるよね、あの映像をマンガできちっと捉えられた人なんです。だけど、それがために、時代がその後そうじゃなくなったでしょ、白っぽくなったでしょ、ほんと時代と刺し違えて行っちゃった人で、自分が刺し違えた相手だから絶対にこの人は媚びないわけだよ。で、本人は消えてないっていうのね、『編集者が消えたんだ』って」

けっこーちゃんと覚えてるなー。