「大名茶人 松平不昧」展感想
※6ヶ月前(2018年6月)に行った展覧会の感想をいまごろアップする。
上野の国立科学博物館に「人体展」を見に行ったら、160分待ちであきらめる。
じゃあどこ行く? つーことで、一緒に行った友人がスマホで調べてくれて、近隣で開催中の美術展を読み上げていく。
一致したのはジャンプ展だが、コレジャナイ感あるよねということで、友人が行きたいと言った「大名茶人 松平不昧」展(三井記念美術館)に行ってみた。
私はお茶もお花も習ってないので、鑑賞のとっかかりが
「これでカフェオレ飲んだらおいしいだろうね(天目茶碗)」
「この3本の茶杓のうち、どれか1本あげるよって言われたらどれにする?」
「これって『ボケて』のお題になるよね」
こんなんばっかりだった。
1:書の見方が少し分かった
書がたくさん並んでて、ここは流し見だな…と思ったら、最初の書で友人が動かない。
全然動かない。
どこを見ているのか聞いたら、字の崩し方の工夫を見ているそうだ。
大学で、江戸時代の文書を読む授業を取ったらしい。
それを聞いて、
「こう崩すとかっこいいけど、なんて書いてるか分かってもらえるかな? 」
「○○さんならこの崩しを分かってくれるはず…!! 」
とか思って書いてたのかな~と思った。
12世紀や13世紀に書かれた書を見て、21世紀の今「
「六祖破経図」も実物を見ると、生き生きとしたいい線なんだよ。
フォント好きの山下陽光さんにぜひ見て欲しい。どんな感想を持たれるだろう。
2:禅って厨二っぽい…?
不昧は禅に多大な影響を受けている。
20歳の時に書いた本の題名が「むだごと」だったり、
茶室を再現したようなコーナーがあって、
禅僧の名前がキマッてる。
虚堂智愚(きどう ちぐ)、無学宗衍(むがく そうえん)…
昔(?)を今の価値観で量るってよくないんだけど、
素晴らしい作品群に眼福を得ながらも、
3:自由だな
「福禄寿亀図」松平不昧筆/狩野伊川院栄信画 江戸時代・19世紀
書の途中で書体を変えるって自由だなぁ。
展示室に入った時に、「最後のほうに飾ってある掛け軸、なんかただ単に掛け軸に『〇』って書いて(描いて)ない? 」と思ったが、たぶん近づいたらそれ以外の何かも書いて(描いて)あるんだろうなー、と思ったら、近づいても正円が描かれてるだけだった。
コンパスで描いたようなきれいな丸だが、フリーハンドらしい。すごい…!!
友人に「日本美術界はこれを書とするのか画とするのかどうなのよ」と聞いたら「画だね」。
友人と、これはジョン・ケージ「4分33秒」なんじゃないか、という話になった。
丸だけ出されたら、こちらは勝手に意味を乗っけてしまう。
「不昧さん達はどんな意味を乗っけたんだろうね」と話した。
4:むっちゃ今っぽい
「書『春月』」松平不昧筆 江戸時代・19世紀
とか、
「瓢箪蒔絵弁当箱」原羊遊斎作/酒井抱一下絵 江戸時代・19世紀
のヒョウタンモチーフの展開(1段目と2段目の引き出しの取っ手がたまらん!! )とか、むっちゃ今のデザイン。
弁当箱はレプリカ作って欲しい。
5:引き継いでない感とわかる感
2016年の「大妖怪展」(江戸東京博物館)で、“源頼光の土蜘蛛退治”をモチーフとする14世紀の絵巻や19世紀の浮世絵、及びその解説文を見て、「私は能も歌舞伎も講談も見ないし、日本の昔からあるものを引き継いでないなー」と思った。
別に無理に引き継ぎたいわけではなく、ただそう思っただけなのだけど。
先程からの友人に2016年にこの感想を言った時、神楽における土蜘蛛を語ってくれて、とても面白かった。
無理に分かろう、分からねばとは思っていないが、ある時からテレビやラジオで伝統芸能が流れてきたら、チャンネルを変えずにとりあえず見るようにしていた。そしたら「三味線っていいなぁ」とか「雅楽むっちゃかっこいい」とか、ちょっとだけ良さが分かってきたりもしている。
あと町内会の祭囃子が聞こえたら居ても立っても居られない感じがするとか、小学生の頃こども会で俳句を作った時「これだったらいくらでも作れるな」と思ったとか、わかる感もあって、そういうことを思い出した。
2人とも、サクッと1時間で見て回るかくらいの軽いノリだったのに、気付いたら3時間いて(年表の前に30分はいた)、最後は駆け足で見て回った。