向日性

Twitter @kojitsusei

君たちはどう生きるか 感想(ネタバレあり)

 

※ネタバレあり

 

 

 

 

2時間の美しいイメージ映像集だった。

 

IMAXやドルビーシネマでなく通常バージョンで見た。

(通常バージョンで音はとてもよく感じた)

本は読んでいない。

公開から2ヶ月も経つのに「ちゃんとしたストーリーはないらしい」という軽いネタバレだけを耳に映画館に行くことができたのでよかった。

 

【見ながら思ったこと】

疎開先のお屋敷の描写がきれいなんだけど、なんだか「ジェネリックジブリ」という言葉が浮かんできて、もしかしたら視力がずいぶん落ちちゃったのかななどと思っていたら、産屋の緞帳のシーンで「ここに全振りか!!!」となった。

 

音は、「今はこういうシーン」というのをストレートに表していた。

音がよすぎて、敵が襲ってくるようなシーンで思わず体がビクってなった。

 

「七人のお婆さん」は「七人の小人」と関係があるのかな? なんでスケール感がちょい妖怪じみているんだろう?

 

主人公、疎開先の小学校に初登校だというのに寝癖すごくない?

 

生と死のはざまの世界がきれいだった。

黄泉の国だから、雲の色が黄色みがかりすぎているのかなぁ。

前作「風立ちぬ」で上(“魔の山”)に行ったから今度は下に行ったのかな?

 

主人公、現実世界では「便所」と言い、はざまの世界では「トイレ」と言っていた。

(別に統一されていなくてもいいのだが。何か意味があるのかないのか)

 

「城に囚われた美姫を助けにいく」という古典も古典な骨組み+イメージ映像集で今どき2時間も持たすことができるってさすが宮﨑駿監督(本作から﨑に表記を変えたらしい)だなぁ。

 

寓意に溢れた(※読み解けてはいない)映画で「世界の秩序を司る積木が崩れた」って、容易に「ジブリが崩れた」に結びつけてしまうのだが。

 

ラストシーンがあっさりしすぎ。

 

洋館内部はカリ城千と千尋を思い出した

少年と少女で探検する様はラピュタを思い出した

冒頭の空襲や全体の雰囲気は風立ちぬを思い出した

 

 

【映画館を出てから】

そういえば「もののけ姫」(1997年、監督56歳)を最後に、以降の監督作(「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」、「崖の上のポニョ」、「風立ちぬ」)はストーリーらしいストーリーを持たないイメージ映像集だったよなぁ。

スタジオは映画制作部門を解体し、プロデューサーのスキャンダルが発覚したけれど、監督自身は次回作に意欲的で毎日スタジオに来ているとの由、嬉しいことだが、きっと次も「ストーリーらしいストーリーを持たないイメージ映像集」ではあるのだろうな(あんなに美しいイメージ映像集ならいくらでも見たいが)。

 

主人公の父ちゃんの性癖。

……あるといえばある話だけどさ。昔はこういうのよくあったのかな。主人公、パンフによると11歳(小6)らしく、実母と死別した11歳男児で、叔母さんがお義母さんになるのと他人がお義母さんになるのはどちらがましなんだろう。

 

主人公の父ちゃんの性格。

東京者が疎開先の学校に初登校する際に外車で乗りつけたらどうなるか。

「かっこいいぞ!」(正確なセリフは忘れた)じゃないでしょ!!!

 

え、青サギ役は菅田将暉だったの!? すごい!

このシーン好き

 

ヒミさまがふわっとしたスカートやフリルたっぷりのエプロン着てるのいいなぁ。

 

 

 

以前見たツイートで

……ジブリガンダムエヴァの名シーンも今は誦じられてるけど何れ砂塵に帰すだろう。そうそうシェイクスピアにはなれない。

ジョエーウ@joejoeu 2022年10月26日 *1

とあり、なんだかすごく印象に残っていた。

ツイートの通りなのかもしれないが、生きててジブリの新作に立ち会えるって素晴らしいことだ。

 

*1:

呪術廻戦 初見感想

※ネタバレ有

 

・アニメ(1期、2期<29話まで>、映画)を2期→1期→映画の順で見た。マンガはまだ読んでいないが早く読みたい。

 

【テレビシリーズ1期・2期】

・少年が異形の受肉の器になるって、なるしまゆり少年魔法士」カルノを思い出した。

タイトルの英語表記は呪術廻戦が「Jujutsu Kaisen(Sorcery Fight)」、少年魔法士「The Young Magician」となる。

 

      

虎杖悠仁(いたどり ゆうじ)とカルノ・グィノー

         

 


・廻戦ってどういう意味だろう。

五条-夏油-家入のラインは時を経て虎杖-伏黒-釘崎に引き継がれてるから(羽海野チカハチミツとクローバー」を思い出した)、まわるまわるよ時代は回るで廻戦とつけたんだろうか。

ということはじきに虎杖と伏黒は袂を分かつということ? 

五条-夏油の夏油に当たるのが虎杖なのか伏黒なのか今一よく分からないが。どちらでも当てはまる。

 

 

<描写>

・五条はグラサンかけてるのにまつげフッサーなのが分かるように描写されている

・前髪よりでかいピアスとボンタンが気にならん?

・虎杖、1話ですでに腹筋が割れている

・見ててみんな膝大丈夫かな~と思う

・階級とか家制度とか強いというか、結局みんな好きなんだなと。見てる分には……ってことかな

・異形が人間と同じ言葉(名詞とか呪文の口上とか)を使ってくれるところが気になる。原作が少年漫画だからこの演出でいいんだけど

 

・シリアスな中、急に登場人物がちょいデフォルメ化してギャグを挟む展開って、いつごろからあるんだろう。荒川弘鋼の錬金術師」くらいから?

 

例:4話、05:45/18:10からの30秒間のシーン

約4秒ごとに切り替わるカット

 

建物の扉が無くなっていることに気付く3人

 

 

虎杖(右)「ド、ドアが……無くなってる!」

釘崎(左)「なんで、私達今ここから入ってきたわよね」

うなずく虎杖

釘崎の顔周りに汗? の漫符が出現、虎杖の目の変化

 

 

釘崎、虎杖「どうしよう、あそれ、どうしよう」

デフォルメ化した二人が、お囃子が鳴り響く謎空間で踊る

 

 

上のカットに被せぎみで伏黒のセリフ

「大丈夫だ、こいつ(犬の式神)が出入口のにおいを覚えてる」

 

 

釘崎、虎杖「あら、まぁ~」

このカットは2秒

 

 

釘崎「グッドボーイ、ジャーキーよ、ありったけのジャーキーを持ってきて~」

犬の式神をわしゃわしゃ撫でる虎杖

このカットは5秒

 

 

ついに伏黒もデフォルメ化して突っ込む

伏黒「緊張感!!」

 

釘崎と背景の動きが止まり、効果音も止まる

虎杖「やっぱ頼りになるな 伏黒は」

 

 

上のカットのデフォルメ絵がそのままシリアス絵になる

虎杖「お前のおかげで人が助かるし、俺も助けられる」

 

 

伏黒「……進もう」

 

[シーン終わり]

 

BSマンガ夜話鋼の錬金術師」を見直した。シリアスな流れにギャグを挟む手法は昔からあり、そうすることで重い話でも読者が楽に読める効果があるらしい。荒川弘は1つのコマの中でこれをやっている(1つのコマの中でシリアスとギャグ、2つの世界を描いている)のが面白い、という話だった。

 

「ギャグを挟むことで重い話でも読者が楽に読める」って、そうなんだろうけど、前提として「読者がついていければ」だと思う。登場人物の頭身が急に変わったり、場面も急に個人の心象風景でもない謎空間に変わったり、「これら全てを一つの物語として受け止めてね」って、けっこう高度なことだと思う。小さいころからマンガやアニメに親しんでいれば自然と訓練を積んでいる状態なので「そういうもの」として受け止められるけど。夜話でも言っていたけど、日本のマンガやアニメを楽しむためには読者側に高いリテラシーが要るんだなぁ。

同僚の60代女性が鬼滅の刃の話をしている時、「登場人物の頭身が急に変わる展開が苦手で」と言っていて面白かった。

上で挙げた30秒間のシーンは「シリアスとギャグの切り替わりが1回で終わらず2回」でびっくりしたのだが、3話の「東京観光って聞いてたのに六本木の憑き物ビルに連れていかれる」シーンは最後一人ずつデフォルメ化が解けていったのでびっくりした。

 

 

登場人物のデフォルメ化の際、5頭身との切替(ちょいデフォルメ化)がメインで、3頭身との切替はあまり無いのは、3頭身との切替だとシリアスとの落差がありすぎるからだろう。

 

 

釘崎の変化 8頭身-5頭身-3頭身


「デフォルメ化」は昔からあったのだろうけど、この「ちょいデフォルメ化」って昔からあったのか、私があまりマンガを読まなくなった2012年ごろ以降の表現なんだろうか。

吾峠呼世晴鬼滅の刃」1巻を読んだ時、下の画像の禰豆子、かわいいけどなんでデフォルメしているんだろう、農家の親子の描写、顔を描かない訳でもなく普通にモブキャラとして描く訳でもなく微妙に抽象化しているよな、つられて炭治郎もほんのちょっとだけデフォルメ化していないか? と思った。

 

 

 

<番組の作り>

・展開が早いので見ていて飽きない

・1期、映画と2期は監督が違う

・鬼滅に似てる(じゅじゅさんぽ)

上記の「シリアスな流れにギャグを挟む手法(重い話でも読者が楽に読める)」を拡大バージョンでやっているのだろう

・声優を調べたら、五条先生はカラ松(次男)だったw それからしばらくカラ松がかっこつけてるように聞こえて困った

・エンディング曲「LOST IN PARADISE」の~in my lifeのlifeの譜割り

 

 

 

【映画】

・知らず8月上旬のジャストの日に見てしまい……日曜だったから……何で誰も爆発シーンがあるってネタバレしといてくれないの(ちなみに映画公開は冬)

・呪術師の家紋が画面いっぱいに広がるシーンは映画館で見たらさぞ壮観だろうな

・商店街の看板で「ヒノキ薬局」ってあって、些事だけど、これ上京してなかったら元ネタがあると分からなかっただろうなとしみじみした

・最後、乙骨はなんで指輪をはめてるの? 外さないの?

 

映画公開前の2021年11月 新宿のゲーセン1階 なぜか撮ってた

 

違うクラスタの人にどう言葉を伝えるか

先日、違うクラスタの人にどう言葉を伝えるか、ということについて考える機会があった。

その時は反対意見の人にどう言ったら伝わるかという状況だったのだが、これって誰かと仲良くなりたい時にも使えるかもしれない。

 

まずカラオケ=自分の話したいことを自分の話したいように話す、はだめだ。

口頭だとつい使ってしまう「みんな」という言葉も使えない。「みんな」が使えないとけっこう大変。

相手への礼儀、または変に突っ込まれるポイントを作らないために、汚い言葉を使ったり、怒鳴ったりするのは控えたほうがいい。

 

一つ考えたのが、「相手の使っている言葉を使って話すと、伝わりやすいのでは」ということだ。

 

これは、プロ奢ラレヤーさんがよくライブで言っていることだ。

もう一つ言うと、私はプロ奢さんを「ウラ山下陽光」と捉えていて(こんな言い方ごめんぷろおご)、「山下さんが言ってること、面白いけどよく分かんない」っていうことを、彼のドライな表現で「違う言い方をするとこうなのか」と理解できる時がある。たまに勝手に両者の発言を付けあわせて、面白い! ってなったりしている。

 

例)

インナー山下「自分が苦も無くできることをずらせば商売になる」

インナープロ奢「自分が苦も無くできることを自分で見つけるのはちょっと難しくない? でもそれが商売ということ。何も思いつかない人は普通に働くのが一番コスパいいっすよ」

  

相手の言葉を自分のものにするため、その人が普段どんな言い回しをしているか思い返してみる。SNSはその人の無意識の束だからよく見る。

 

「違うクラスタ」といっても、これから仲良くなりたい相手だったら苦じゃなくそれができるけど、嫌いな/苦手な相手だとつらい。すごく。

後者は自分にとって話法やロジックに違和を感じることが多いので、「使える」ようになるには複数回見返す必要が出てくるかもしれない。

でもがんばるんだ、アウェイだと気を張ってるけど、ホームだと気の緩みもしくはサービス精神で、ぽろっと大事なことを言っているかもしれない。

自分の中に異物を取り込み止揚しよう。

  

聞くより読む派は、音声メディアを書き起こすとすごくはかどるかもしれない。

手間はかかるけど、手から話者の意識が流れ込んできて、聞いてるだけでは見えてこなかったロジックが見えてくる。

すごいのは、第一線で活躍するような人のしゃべりは、書き起こしそのままで、ほぼ文章として完成していることだ。

 

論点の立て方、質問の仕方、質問への答え方、短い持ち時間に自分の主張を端的に盛り込めるかは、難しいけど、相手に言葉を伝えたいなら、大事だ。

 

 

これ以上のオチは思いつかないので、シームレスに終わっていく。

“仲良くなりたい時”と“ケンカする時”って、気持ちのベクトルが違うだけで、対象としては同じなのかもと思って、面白いなぁと思った。

「ケンカする時に有効な手段って、仲良くなりたい時にも使えないか?」、これを横の考え方だとすると、縦の考え方は「ケンカの一手段として相手方の思考をトレースして体に流し込むと、反動で自分の見たいものと普段は見ないであろう下世話なものまで見ちゃうから、時間食い虫で危険な手段でもあるな。好きな人のは、今の自分にとって異物ではあるけど、ストレスなく見られるから、大量摂取のち定着すると“インナー○○”発生で、それってプロ奢の言い方だと“征服完了”だな」と思った。

 

この一手を、これから実生活で前向きに使えるようになりたい。

映画「AKIRA」感想

※2020年のリバイバル上映の感想。7月下旬に行った。

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見たの20年ぶりくらいか。1988年の公開時は見ておらず、10代後半か20代前半にレンタルビデオで見たはず。漫画も読んだけど、ほとんど覚えていない。

 

強いて言えば「鉄雄がかわいそう」と思った。初見の時も似たようなことを思ったはず。

 

デカい話をしているのに、この世界に「地方」はないし「世界(外国)」もない、ただ「東京」があるのみなんだな。

 

そのくせエンドロールがローマ字表記なので、目で追い切れず、新しい発見ができなくて残念。当時のパンフ、再販してほしかった。

 

疾走するバイクから見上げる天突く摩天楼、スラムみたいな旧市街…、この街に行ってみたいなぁ。

 

金田、鉄雄、ケイ、声がかっこいい。

 

金田たちが通う職業訓練校や街のデモ隊の描写が60年代学生運動ぽくて、「AKIRA」っていえば「ザ・80年代」てイメージだから面白いな、って思ったけど、考えてみたら作者は80年代より前に生まれていて(1954年生まれ)、大人になって「おれのかんがえるさいきょうかっこいいイメージえいぞうしゅう」を作ってるんだから、そりゃ60年代、70年代のイメージが入っていて当り前だよな。

 

 今の若い人は「AKIRA」見て「え? 何かパクリだらけじゃないすか?」って感想を持つ、みたいな話を以前何かで見た。*1

これって私が高校生の時、「坊っちゃん」を読んで「で? 言うほど面白いかな、これ?」って思ったのと似てるのかな。

影響があまりにも大きすぎて、「少しずつその影響がみられる各作品」を摂取してきた者が、全揃いのオリジナルを見た時に「すでに見たことあるネタの寄せ集めなんですけど?」ってなるという。

 

 

 

映画とは関係ないが、施設のトイレを示すピクトグラムがサイバーっぽくてかっこよかった。中に入ったら、ハンドドライヤーの使用を中止している代わりにペーパータオルが設置してあって、コスト面からただ中止にしてるところが多いのに、映画館はサービスがいいなと思った。

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那州雪絵先生は今夏、何度劇場に足を運んだのかなぁなどと思いつつ、閉園せまるとしまえん横の映画館を後にした。

 

 

*1:Twitterで、2020年に誰かのタイムラインに流れていた。

ドラマ「ホリック」感想(ネタバレ)

ネタバレ有。

2013年WOWOWプライムにて放送。全8話。1話30分って見やすくていい。

アマプラの配信は今日まで。

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1.演者

杏が信じられないくらい手足が長くて、和柄ゴスはじめ数々の耽美な衣装を着こなしていた。「アウターゾーン」ミザリィや「スカイハイ」イズコみたいに、此岸と彼岸のはざまにいる存在に見えた。

 

東出がちょい俺様キャラの高校生役でかっこいい。特に矢を射るシーン。

 

後半敵役の安達祐実。今回、声の良さに気づいた。主人公ナメでベッドに乗り上げるシーン、「ありがとうございます!」と画面を拝みたくなるほど色っぽかった。

 

主人公役の染谷はオールマイティーにすばらしかった。お人好しで一途な青年ぶりも、一転して敵役に翻弄される姿の色っぽさも。

 

2.描写

監督:豊島圭介(4話5話は継田淳監督回) 

脚本:継田淳(3話4話6話は豊島圭介との連名)

 

豊島圭介監督は「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」(2020年)の監督。

配信作など、この人の作品を意外と見ていた。

 

 ひまわりというヒロインの性格、ゼロ年代の青年誌(原作マンガの連載時期は2003年-2010年)ではまだ「あり」だったのだろうか。

「近所の友人が霊障で引きこもっているので、侑子(杏演じる登場人物)に助けてもらえないか頼んで欲しい」と自分に気がある主人公にお願いしたり、主人公が「明日からお弁当、君の分も一緒に作ってこようか」と言ったら「じゃあ百目鬼くん(東出演じる登場人物)の分もお願い。明日から三人一緒にお昼だね」って、なかなかでしょう。

他、ヒロイン関係で腑に落ちない描写はいくつかあった。

どれも演出/構成上仕方ないのは分かるが、自身のトラウマを百物語程度で人に話すかな? と思った。

 

「あなたはあなたのままでいい」というセリフを、自然体礼賛ではなく、ひっくり返して人を惑わす甘言として使い、最後また、強引ではあるが、正の意味にひっくり返したのは、青少年に対して叱咤激励だなぁと思った。

 

アクションなしに対決シーンを描いていたのが面白かった。

クライマックスの侑子と女郎蜘蛛(安達演じる登場人物)の対決場面、二人とも後光指す中、交互に主張(セリフ)を述べ、役者の演技(声を荒げたりはしない)と、音楽の入れ方と、人間(ヒロインと主人公)の口論場面とのクロスカッティング(技法名違うかも。同時刻に違う場所で起こっている場面を交互に映す)で、物理的接触なしに対決を描いていた。

ちなみに人間側の対決場面は、声を荒げ、揉みあいながらの刃傷沙汰で、ついには主人公が根性論で怒鳴り、泣いて気を失うヒロインを固く抱きしめるという流れ。超越者同士と人間同士、二つの場面が切り替わる中、音楽はずっと超越者側のそれが流れていた。

 

3.テーマ

「人を思うことの素晴らしさ」が、その面倒くささ込みで描かれていて、面白かった。

マンガも読んでみよう。

視聴メモ・BSマンガ夜話「真説ザ・ワールド・イズ・マイン」

シリーズ第33弾 第130回 2007年11月28日(水) 午前00:00~午前00:55 放送

作者:新井英樹(1963年-)

 

1997年~2001年:週刊ヤングサンデーにて「ザ・ワールド・イズ・マイン」連載。

2006年:大幅加筆修正された「真説ザ・ワールド・イズ・マイン」出版。

 

 

※敬称略

※「」内発言は少し整えている箇所あり


 00:22頃 大月隆寛「大変長らくお待たせいたしました。2年9ヶ月ぶりです」

笹峯あい「はぁ~い、お久しぶりでーーーーーす。帰ってきましたー」

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当時、この絵にグッときた


 00:56頃 石井正則「リアルタイムで読んでいた世代なので」

呉智英新井英樹の最高傑作ですね」(大月の「この作品をどう見ますか」という振りに対して)

 

08:22頃 大月、石井に読者代表として、連載当時の状況を聞いていく。

大月「どう読みましたか、当時は」

石井「当時は1990年の終わりという、時代との流れでやっぱり読んでた感じはありましたね」

大月「高校生くらい?」

石井「いえ、もっと上ですね。もうこの世界に入っていたと思います」

大月「雑誌で読んでた?」

石井「雑誌で読んでましたね」

大月「周りで読んでる人いました?」

石井「僕の周りはそんなにいなかったですね。僕だけ熱狂してました一人で。いっぱい言うんですけど、あまり共感してもらえない感じもありましたね」

笹峯「当時から熱狂されてたんですか?」

石井「僕すごい盛り上がってました。で、連載の時、後半だんだんペースが遅くなっていったんですよ。後半やきもきしてる感じがありました」

大月「部屋の中で何週間も続いたりね」

笹峯「これあいだ空くと結構きついですよね」

石井「それで改めて単行本になって読んで、もう一度読み返して、っていうところでだんだん思いが熱くなっていった感じはありますね」

大月「どの辺が熱くなった原因なんですか?」

石井「僕はもうキャラクターですね」

大月「誰に?」

石井「トシですね」

大月「やっぱトシなんだ」

石井「やっぱトシですね」

大月「思い入れがあった?」

石井「もうものすごい思い入れがありました。だから今回、真説になって一番びっくりしたのが、最後のほうに、トシが、雪山の中で、“吐き気するほどボク…人間のスタンダードや”っていうセリフがあるんですけど、僕あのセリフが一番印象に残ったんですよ。俺もっとデカく書いてあると思ってたんです。それで読み返してみたら意外とサラッといった、みたいな」

他の出演者「(笑)」

石井「あれ、俺これ一番立ってるセリフだと」

大月「もっとこんなデカい活字で」

石井「コマも大きくて、だと思ったら意外にサラッと」

岡田斗司夫「落ち着いて考えてみたらあれがでかゼリフのはずないよね」

石井「ですけど、僕の中ではすごく残ってたんですよね、印象に」

大月「スタンダードや、ってね」

石井「はい。あれだけのことがあったのにもかかわらずっていうのが。タイムリーに読んでたら余計に強く印象に残っていたんですね」

 

10:30頃 大月、掲載誌についていしかわじゅんに振る。いしかわ「大手の中ではちょっと地味なメディアだった」とのこと。

石井「そうだったんですか!? 僕の中ではトップでしたから。今一番コレでしょ、みたいな勢いでしたよ」

他の出演者「(笑)」

大月「脇で何やってたの? この雑誌、当時は他に」

石井「他は、『マイナス』とかありましたね」

岡田「問題作ばっかりだ(笑)」

 

11:28頃 大月、夏目房之介に振る。夏目はリアルタイムでは読んでおらず、真説しか読んでいないとのこと。

夏目「部屋の中で密閉された状態を描くの上手いよね、あれで引くんだよね」

大月「密室がまた何回もあるでしょ」

夏目「普通はそこで滞るんだけど、上手いんだよ。滞り方が上手い」

 

13:00頃 呉、当時様々な年度アンケートや賞に推薦していたが、一般受けしなかったと語る。真説は売れないと思っていたら、すぐ増刷になったことに驚く。

大月「去年の段階でしょ? だからおそらく最初の回の時売れたんじゃないのかな、一気に」

岡田「連載の時からね、ものすごい評価する人がいるんだけど、同じくらい拒否反応を示す人もいっぱいいたからね」

呉「まぁ濃いからね。『宮本から君へ』の時もそうだけど、熱いっていえばいいけど熱すぎる、クドい、クドすぎるみたいな」

大月「うっとうしいっていうのもあるからね」

笹峯「ほんとう」

呉「オーケストラでいうとさ、最初から金管鳴りっぱなし、弦も弾きっぱなし、ティンパニ鳴らしっぱなしじゃない。もう熱くてさ」

いしかわ「このタイプはもう、これが好きな人はこれじゃなくちゃダメだけど、そうでもない普通のマンガ読みはちょっとつらいよな」

石井「かもしんないですね」

笹峯「間隔を空けられるのもつらいけど、これだけ持ってこられるのも私つらくって、3冊読んでから、2週間くらいあいだ空けたんですよ、一気に読めなくて。しんどくて」

大月「こんな熱いかって怒ってたもんね」

呉「マンガの中のドリアンみたいなもんだと思ってね」

大月「クセがある」

いしかわ「部屋に持って入っちゃいけない」

 

14:57頃 石井「真説で久々に読んだら、逆に意外にアレあっさりしてるなって思っちゃうんです」

笹峯「えー」

大月「印象変わったでしょ? 分かる分かる」

石井「タイムリーに読んでた時の印象が強すぎて、もっと濃かったふうに思ってるんですよ」

大月「すごい書き換えたような印象あるんですよ。でもスタッフが今回がんばって対照表とか作ってくれたんだけど、そんなに構成とか変えてないのね。絵とかネームをいじってるぐらいで。エッて感じなんですよ」

呉「37ページがちょっとね、入れてるけども前半はね、ちょっと変えてるだけですよ」

 

15:28頃 いしかわ「たぶんね、ヤングサンデーの普通の連載の中にこれが一本入ってたら、これの印象は強烈じゃない。俺はとんでもないもんを読んでるって意識で読んでるんだよね」

岡田「となり、原秀則なんかでしょう?」
呉「とがしやすたかとかね」

いしかわ「これだけで読んでみれば、重いんだけど、こういうもんだからね。連載の中で読んでるのとは違うよね」

石井「連載の時、最後でしたもんね(掲載誌での並びが)」

夏目「まぁでも拒否反応があって、当たり前の作品っていうか、これ拒否反応あるのが普通だと思うよ」

大月「正直、連載をリアルタイムで追っかけていた人はすんごく少なかったと思いますよ。単行本になって、あ、こういう作品だったんだってやっと分かったっていう状況で、それでもさっき呉さん仰ったみたいに一般化はしてない」

呉「評論家受けしてたんだよね」

いしかわ「この厚さっていうのはかえって読み易かったんじゃないかな。200ページの単行本よりも、こっちのほうが、読みたい人にとっては読み易かったんじゃないかな」

呉「まとまってるからね」

 

16:56頃 呉「キャラがみんなどれもこれも濃いじゃん。(中略)特にモンちゃんの愛人になるオバさんね」

大月「バアさん、大好きなんだよ俺」

呉「あれ大月くん好きそうな感じでしょう。あれがねー、濃いんだよね。この第1巻のところのさ、最初の辺の出てくるところなんかもさ、最初っから顔にシミ付けた汚ねぇババアでさ、すごいイイんだよね、これが」

夏目「マリアも含めて他の若い女のほうが全然エロくないのよ」

大月「ババアが一番エロいんですよ」

夏目「逆なんだよ」

 

17:56頃 いしかわ「このマンガを読んで、俺はギャグマンガと同じ構造だなと思ったの」

大月「おう」

呉「面白いじゃん」

いしかわ「キャラクターそれぞれの振り幅がすごく広くとってあって、大きいイベントを作ってその中に濃いキャラいっぱい放り込んで、あとは好きに動いて、っていうやり方のギャグマンガがあるんだよ。それとすごく似てるっていうか、同じ構造なの。1980年前後に俺は、ギャグマンガで日本を転覆する話とか、世界の秩序が無茶苦茶になっちゃうっていう長編のギャグマンガを何本も描いたんだけど、それとね、読んでて同じ構造だ、と思って」

大月「そうか、いしかわさんが『約束の地』とかでやったことなんだ、これ」

いしかわ「1980年前後ってね、まだ70年安保が終わって10年だけど、まだね、世間が熱かったんだよ。世間の熱の名残があったの。だからね、あそこでテンション高いもの描こうと思ったら、テンション高いとこの上にもうひとつ高くしなきゃいけないんで、これはギャグでしか描けなかった」

大月「そうか、お笑いにしなきゃ描けなかったんだ」

いしかわ「この世界を今描くとシリアスになるんだ、と思って」

 

20:55頃 岡田、呉が影響を指摘するいましろたかしデメキング』に続いて、岩明均寄生獣』との類似性を指摘する。

 

21:20頃 夏目、阪神・淡路大震災(1995年1月)と地下鉄サリン事件(同3月)の影響を指摘する。また、連載時期が出版売り上げのピークアウトと重なる旨も指摘。

夏目「この辺はね、本当は俺が語るべきより、呉さんや大月さんが語るべきなんだよね。大月さんの意見を、ここで聞きたいんだよね」と、大月の解説へと促す。

 

21:52頃~28:00頃 「大月の目」コーナー(ここだけ全文掲載)

「えー、すいません夏目さんに先駆けて今日はやらせていただきます。マキバオー以来かな、ひょっとして。

何が言いたいかとまぁワールドイズマイン、さっきも言いましたようにこれはもう夜話が中断する前からぜひやりたいと僕ずっと言っていたんでありますけれども、言いたいことは山程ありますが今日はちょっと絞ります。

さっきもちょっと出ましたけども、とにかく、この時代これだけ風呂敷を広げて、まぁむりやり畳んだ腕力はすごいな、というのがまずあるんですね。畳めなかった作品、枚挙にいとまがないですから、この時期。何がとは言いませんけども『ドラゴンヘッド』でありますとかですね、『○○』(←聞き取れず)とか色々いらっしゃいますけども、とにかく畳もうとして尚且つ真説でもういっぺん書き直そうともしたってことはすごいと思う。

その結果、原因が何かというと、ディテールなんですね。日常を描く力ってのがすごいんじゃないか、っていうのを語りたいと思います。

まずちょっと絵を出してください。はい、これマリアの家なんですけども、何でもないと思うでしょ? 思うんだけどもとにかくこの“場”ですよね、空間の描きこみ具合っていうの何だろう、テーブルとか描くのはいいんですけれどこの背景ですよ、レースのカバー、あったね応接室にこういうのあったねレース。どこで生産してるとか色々あるんですけれども。あと、このサイドボードのたたずまいですよ。訳の分かんない将棋の駒とかですね、何だかの優勝カップとかこういう置物を描いてる。しかもここに何か訳の分からない獣の首かなんかあったりして。テレビの上にこういう派手な時計があったりするという、こういう物もひっくるめて今の我々の日常であるという視線がこの人あるんですよね。

で、もちろん真説のほうではロングインタビューなんか載っててみなさんご覧になって分かると思いますけれども、取材は綿密にやってます。編集なんかもけっこうがんばってるんだと思うんですけれども、いまどきのことだからもちろんデジカメなんかでも撮って、それを基に書いたりもするんだろうけども、書く時にやっぱ意識しているから描き込めるんですよ、これ。この人の日常の描き込み具合みたいなものが、実はバイオレンスだとか、暴力だとか、あるいは残酷なシーンが多いとかって色んな物議醸したりしたんだけども、それを活かす書き割りになってるんですね。そこが僕すごいとまず思った、ってことなんです。特にまぁ、これは最初のほうですけれども、次ちょっと出してください。

はい、僕が一番ね、最初読んだ時に衝撃、強烈な印象があったのがこのシーンなんですよ。これあの潤子ちゃんですよね。マリアの友達で、この後密室に閉じ込められてえらいことになるんですけれども、この部屋です。部屋のほうに俺印象強くて、これ見えるかな、これ子供箪笥ですよ。ウサギの絵が描いてあるんだけれども細かい点々とかあるんだけど、これプリクラとか落書きなんですよねおそらくね。描き込んであんだよ。で、ここに何か訳の分かんないもん二つある。何だろうなと後で分かるんですけども、空気入れる枕っていうか座布団みたいなね、カエルの顔してんですよ、後で分かるんだよね。あと上の様々なぬいぐるみとか何とか、あと高校時代この人ちょっとアート系入ってましたから、描いてた絵であろうかとかそういう、日常のどうでもいいもんが何でここまでこの人描くのっていうくらい描くんですよこれ。描くってことは意識してるんですよ。で、それがあるから、子供泣き止まなくてヤンママ困ってる訳ですよ。その部分がこういう日常の中にあるんだ、ということを、感覚として読んでる側に分からせるんですね。我々の日常はこうである、しかも今“格差”とか何とか言ってますけども、今の我々の貧乏は食べられない貧乏じゃないんだけども、こういう具合に狭い空間にうっかりと100円ショップで買ったものが増えていくような、そういう貧しさなんですね。それを貧しさと言っていいのか分かんないんだけども。そういったものをひしひしと感じさせる前提があるから、どんな殺戮描いてもいや~な切迫感がある、そういうことなんです。はい次ちょっと行ってください。

はい、気ィ抜くとこうなるんですね、この人。アシスタントが描いてるのか分かんないけれども、これ何でもない背景になっちゃうんです。カバンはカバンというものでしかないし、コタツだし、ただのテレビだし、本棚だって別に何が詰まってるかまではおそらく目がいってないんです。これあの夏目さんとかに聞いてみたい気がするんですけど、普通に気ィ抜いて書くとこういう、ただの背景になるんですよね。なのに、はい次、お願いします。

さっきのその、潤子の部屋ですよ。リバースから、別のアングルからも全部これ正確に描いてるんですよね。いわゆるホームエレクター、あ商品名言っちゃいけない、こういう、よく流行りの作りつけの組み立ての戸棚とかですね、さっきのチェストみたいなものもちゃんと描いてありますよね。こういうありますよね、子機がこういうたたずまいである、光ってんですねこれきっとね。こういうものまで全部描き込んだ上で、その上で殺戮シーンが来るというところの関係性が一番リアルである、っていうところがすげぇなと思ったんです。はい次お願いします。

逆から見たらこれですよ。さっきのカエルのその変な、カーテンレールの上にあったところから見たらこういう視点になる、画角はこうなんですよね。こっち側もちゃんと描いてある。で、もちろん残酷ですよ、あまり大写しにできないような酷い状態なんだけども、でもそれがそういう日常の中にあるということによって、合わせ技で怖い、何か伝わって来るものがあるっていうところ。だから、まぁ口幅ったいですけれどもリアルをえがけるだけの何か、視点といいますかね、出力と言ったら僕なんか言うとあれですけれども、あるんだと。そこがやっぱり、マキバオーなんかとは違う意味でね、今の我々のリアル、日常をこういう風に狭くなってるんだ、モノが埋まってるんだ、さっきのあれもありましたね、バスルームで殺すじゃないですか、狭いね、ユニットバスのあるとこで。あすこにそのバラバラの死体が詰まってる感じってのが分かるから嫌なんですよ。だから、戦場なんかのシーンもこの人描いてますけども、そっちは別に淡々と見れるんですよね。

日常でそういうものがあるってことの、その日常の部分をちゃんとディテール込めて描き込めるっていうとこが、この人の一番の強みであり、それをやった作業というのが前提にあるからこそ、この作品は物議を醸すものになった。

実は残酷が問題じゃなくて、残酷の背景にある文脈を描き込む力が問題だ、ということをちょっと言いたかったので、立たせていただきました。どうも失礼しました」

 

 

28:01頃 いしかわ「確かにそうなの。ほんとにそうだと思う。マンガってね、読者はあんまり気が付かないけど、自分で描かないと画面には何も現れないんだよね」

大月「意識しないと描かないでしょ」

いしかわ「あらゆるものはマンガ家かアシスタントが描かないと、つまりアシスタントが描くってことはマンガ家が描けって言ったことなんだけど、ここにこういうものを描けって言わないと画面に現れてこないんだよね。だからあらゆるものは意識して描かれてる、ということがすごい大事なんだよね。(中略)このマンガってさ、背景がすんごい偏執狂的に入ってる。こんなにね、全コマにぎっちり写真をトレースした背景が入るってことは、まずないんだよ。こんなにね、背景を入れることってまずない。この人たぶんもう、埋めずにはいられないんだと思うんだけど」

(中略)

いしかわ「街の風景はね、写真を持ってきて、こんな風に描いて、ここはこんな感じにねって言えば何とかそこそこになるんだけど、部屋の中はね、ほんとにリアルなだけに取捨選択がいるんだよね」

大月「指示するにも意識してなきゃできないもんね」

いしかわ「ポットはここに立てて、電話はここに立てて、そういうね、何をどこに置くか、何を取捨選択するかっていうリアルな目がこの人の持ち味なんだよね。その背景があるからこそ、物語が活きるんだよなぁ」

大月「舞台装置とか作るのと近いんですよ、これって。考現学の吉田謙吉さんですけどね、僕に言わすと」

 

30:25頃 夏目「大月さんさすが民俗学者の目なんだよ。でね、それはその通り。だけど俺が聞きたいのは、なぜそれが必要だったかってことで」

大月「そう思ったか、ですよ」

夏目「つまりね、たぶん、フィクションをやりたかった。この人が言ってるのは、要するに、地球ぶっ壊すくらいのフィクションを作った、ってインタビューで言ってるってことは」

大月「“作り物”がやりたかったんです」

夏目「そう作り物をやるためにリアルが必要だった。作り物をやるために本当に地べた這うようなリアルが、彼にとっては必要だったんで、それは何で必要だったかというとたぶん僕はやっぱり’95年以降の現象だからだと思うんだよね」

大月「それは時代でしょうね」

 

30:58頃 呉、作者が影響を受けたであろう本を紹介。ハドリー・チェイス『世界をおれのポケットに』(日本語訳版・創元推理文庫・1965年初版)。

呉「こういう本があるんですよ。『世界をおれのポケットに』って、ワールド・イズ・マインと同じでしょ?」

大月「タイトル一緒だよね」

呉「しかもね、中開けるとね、ここにあの英語の原題が、オリジナルタイトルがここにあるんですけど、これを見るとですね」

大月「The World in My Pocket」

呉「これ略称でワールド・イズ・マインのことをさ、“TWIM”なんて言うんだけど、全く同じなのね。これね、我々の世代はみんな、みんなじゃないけどこういう、ハードボイルド、ギャング物なんだけれども内容は…」

大月「いわゆるハードボイルドですか、それ」

呉「ハードボイルドなんですよ。ギャング物なんですよ。読んでるんだよね。おそらくね、このタイトルをヒントに得て、じゃあ俺ならこういう形でね、やってやるっていうのがね、あの熱い時代を。今あんまり、こういうハードボイルドのこれ、読まれないよね。これも絶版になってるんでしょうがないんで俺このボロボロの表紙の取れたやつ持ってきたんだけれどもね。そういうのがやっぱあると思うんですよ」

 

32:38頃 大月、“作り物をやるためのリアル=舞台装置”という観点から石井に振る。

石井「コントの場合、想像していただくしかないので、逆に何もない状態で、どこまで、自分達が人間を演じることで、後ろに背景が見えてくるようにするかっていうのが楽しい、っていうのもあるんですよ」

笹峯「うんうん」

石井「だから先程の、街とかよりも、人の生活の中のほうのディテールがすごく細かかったっていうのは、完全に人間をえがいてるんだよな、ってことなんだと思うんです。(後略)」

夏目「いやたぶんね、人間じゃないものがえがきたかったんですよ。○○(←聞き取れず)のほうがえがきたかった」

大月「怪力乱神を語りたかったんですよ」

いしかわ「空虚だよね」

 

33:47頃 岡田、怪獣マンガとしての見立てを語る。『ゴジラ』からの『ガメラ』、本作の衝撃。

それに真っ向から対立するいしかわ。ヒグマドンの描き方について「がっかりした」「(全貌を)ずーっと出さずに幻想だけで行ったほうが面白かった」と話す。

 議論は続き、

岡田「部屋の中を綿密に描くのと同じ視点で描いたら、やっぱこうなっちゃうんじゃないんですか」

いしかわ「それは逆だよ。描かないほうがリアルになるってことはもちろんあるからね」

(中略)

いしかわ「この人はたぶん、精神を描きたかったんだよね。精神はさ、見せないほうが精神が出てくると思う」

岡田「ヒグマドンがあるからこれすごいと思った」

いしかわ「俺もヒグマドンは面白かった。大殺戮があってヒグマドンがあって、その二つが並行して進んでいく、これが面白かったんだけど、ヒグマドンは現物を出さなくても良かったな、と俺は思う」

 

そこに、37:03頃 笹峯「マンガ夜話っぽくなってきましたね(棒)。はい、じゃあここで夏目の目に行きたいと思います。夏目さんお願いします」

岡田「お姉さんのむりやり進行(笑)」

大月「相変わらず剛腕」

石井「進行しないといけないですもんね。僕もバラエティー班なんですごい気になっちゃいました、進行」

いしかわ「大丈夫」

大月「大丈夫、大丈夫。全然、こういう感じで」

笹峯「ふふふ」

 

37:03頃~44:03頃 「夏目の目」コーナー

1:トシとモン、二人の少年の顔の変化について

→モンの知性化(聖化)と、トシの凶悪化

→骨格が変わっている

→聖と俗の落差を作る為に二人の変化はあった

→二人の目の変化を一覧に

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右縦一列がトシの変化


 2:「大月の目」の別視点

→人は、残酷描写を残酷と感じるのではない。例えば『北斗の拳』が、あまり残酷に見えずむしろ爽快に見えるのは、内面に引き込むということをしていないから。

→4巻224P~、黒いナレーションが全体を浸食していく場面の解説。読者を内面に引き込んだあげく、“向こう”に連れていく構造。

「この強さが、フィクションの強さ。おそらく、この作家は、フィクションというものを現実に対して強度を試したかったんだと思いますね」

→潤子の部屋、潤子が殺される直前にトシの目に映った自分を見るシーン。読者を同一化させる、典型的な手法。

「どれだけ強く読者を内面に引き込んで、リアリティーを現前化させるか。そのことによって、もうこれ、大ぼらな話なんですからね。もうまるっきり虚構のフィクションの極みなんですよ。それを、現実よりも強いものだという提示の仕方をしたかったっていうのがたぶん、この人の意図だったろうと思います」

 

 

44:07頃 いしかわ、「なぜ作者は本作にて執拗に鼻の穴を描くのか」を語る。

4年間の連載で、作者はずっと鼻の穴を描き続けていたが、物語のラスト、“きれいな顔”になった頃には、描かなくなった。それには何か意味がある。

いしかわ「アップにするっていうのはね、大きく描くってことではないんだよ。アップにするっていうのは、視点が一歩前に寄るってことなんだよ。対象に一歩近づく、一歩前に出て対象をより覗き込むっていうのがアップなんだよ。グッとアップになって鼻の穴を覗き込むっていうのはさ、まぁ言ってみれば相手の体の中を、心の中を、相手の中を見るってことだと思うんだよね。このトシとモンの二人の中に入っていかないと、たぶん読者はこの人達が何やってるか分かんないんだよね。でも最後の最後、もうこいつらは見るだけで分かる存在になってしまった。こいつらって最後は一人だけど。だからね、たぶん鼻の穴を描かなくなったんじゃないかって気がするの」

大月「そこまで寄る必要がなくなったってこと?」

いしかわ「本人がそう描いてたかどうか分かんないけど、そういう意味があるんじゃないかなって気がするんだよね。そうじゃないとね、あそこまで鼻の穴のアップばっかり描いてた理由がね、分かんない」

 夏目「モンもマリアもね、たぶん鼻の穴描かれなくなった時には向こう側にいるんだよ」

大月「もうすでにね。こっちじゃないのね」

夏目「トシだけが境界線にいるんだよ。だから最後になぶり殺しになるのは、彼、人間だからなんだよ」

 

46:20頃 大月「トシがかわいそうでさぁ。トシにばっかり俺目が行くんだよ」

石井「僕も完全トシですね」

呉「トシはさぁ、モンに惚れちゃってるじゃん」

大月「恋愛ですからね、これはっきりいって」

呉「だってさ、第5巻のとこなんかさ、目が完全にさ、オンナの目になってる。第5巻のちょっとここ出してくれる?」

大月「トシはオンナで、モンがオヤジなんですよこれ。要するに」

 呉「観覧車に乗ってるところ、出ます? この顔をさ、モンちゃんがさ、トシにさ愛情を乞う“トシ…カッコいい”って言われた時にさ、この目とかこの辺さ、完全にオンナになっちゃってるよこれ」

大月「俺トシを中心にした少女マンガとして読んだって言ったらみんなに笑われましたからね」

石井「すごい分かります」

呉「ほんとそうだよ、これは」

岡田「一貫してトシもモンも両方とも、女性みたいなものに出会って堕落する、みたいな話でしょ、言ってしまえば」

大月「そう。その通り」

岡田「イブがまず悪魔に誘惑されて、イブがアダムに林檎勧めてそれで堕落するっていうやつをやってるから、かなり忠実なキリスト教の神話の再現やろうとしてるんですよ」

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著者のインタビュー集(2019年刊)


47:23頃 視聴者コメントコーナー。愛ちゃんが読み上げる。

カンバラさん26歳・メール投稿「好きです。いいセリフ山盛りのこの作品ですが、どれか一つ選ぶなら、ジャンボ伊丹が某局長を評した“セリフに体重乗ってるね”に尽きるのではないでしょうか」

 夏目「これ名言多いよ。“バカは罪だ!!”もすごいよ」

大月「“バカは罪だ!!”、呉智英さんなんかしょっちゅう言ってるようなことです」

呉「言ってんだよね~」

 いしかわ「『バカにつける薬』」

 

48:08頃 呉、暴力シーンをどう考えるかということで、本居宣長の歌論『あしわけをぶね』を引用する。

呉「歌の中には、政のたすけとなる歌もあるべし、そういうのもあるだろう。また身のいましめとなる歌もあるだろう。でもまた国家の害ともなるべし、身のわざわいともなるべし、って言ってんだよね」

大月「表現論だね」

呉「そういうものがあっても、人間の真実がえがかれているものはね、芸術であり文化であるってね、本居宣長が言ってるんだよね、大和心の本居宣長

岡田「でも、迷惑だって言ってる訳でしょ?」

呉「いやいやいや、迷惑じゃない、こういうのもあって、芸術っていうのはこういうもんなんだ」

岡田「芸術とはそういうものでも、でも迷惑なんでしょ?」

呉「もちろん迷惑。迷惑もあり、いいものもあるわけだよ」

岡田「だから“私はみんなを幸せにするために来たと思うな、災いをもたらしに来たんだ”と言ってる訳でしょ?」

呉「イエスもそう言ってる訳だからね」

大月「迷惑もかける楽しいマンガ、ってことですよね」

岡田「困ったもんだな(笑)」

呉「困ったもんですよ、芸術とか文化っていうものは。面倒くさいもんなんだから」

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49:42頃 大月「だから連載の時、やっぱ残虐シーンとかばっかりみんな印象に残ってると思うんですよ。だから分かんなかったんだと思うよ、これ」

石井「だから真説が出たっていうのはすごくやっぱり」

大月「通しで見てこういうことか、ってやっと分かったって人多いと思う」

岡田「ただね、作品っていうのは別に通して見るもんだけじゃなくて、途中で見て評価する場合もあるし、最後まで読んでどうだって言われても困るじゃないですか」

大月「そりゃそうだ」

岡田「途中で見て嫌になってやめる人もいるから、ここら辺、作者のさじ加減ですよね」

  

50:24頃 岡田、「ラストは失敗作じゃないかと思ってる」とぶっ込む。

いしかわがそれに賛同する。

岡田「さっき『寄生獣』との対比で言ったんすけれども、『寄生獣』って人間と文明との関係描く時に最後はプライベートな問題に落としていくから、ラストちゃんと終われたんだけども、これ、人類の問題に持っていっちゃったから、そんなの描けるはずがない、の領域にいっちゃって、最後ありがちなSFになっちゃった」

いしかわ「これさ、終わり方に賛否両論あった、みたいなことをこのロングインタビューとかにも書かれてるけど、賛も否もなくてただの失敗じゃん、と俺は思うんだけどね。つまんない終わり方しちゃったなー」

 

51:02頃 岡田「5巻の最後のほうの終わり方って、ためらい傷ばっかりが多くてちゃんと終われなかったみたいに感じるんすよ。(中略)最後は『火の鳥』の焼き直しみたいになって終わっちゃう」

石井「連載してた時も、あきらかに、ちょうど跨いだじゃないですか2000年を。そのラスト辺りから、“今週はお休みします”が多くなった記憶があるんですよ、僕の中で」

大月「畳み方探してたんだ」

呉「いや、自分で持ちきれなくなったんだよね」

石井「世紀末に向かっていく時代に向けてグワーッと行った時は、連載毎週ちゃんとやってたのに、そこ抜けた瞬間に、僕ら自体もそこ、あーっていう感じあったじゃないですか、何か。2000年を越えた時」

岡田「だからね、『沈黙の艦隊』もね、これ最後どうするんだっていって、あ、こんな終わり方か、みたいなちょっとがっかり感があったように、ワールドイズマインも終わりがっかり感あったんだけど」

笹峯「でも私はヒグマドンがあったから、ああいう終わり方されても、お話としてすごいちゃんと成立した終わり方をされたなーって」

大月「畳んだもん」

いしかわ「一応終わったけど、この終わり方はないよな、って気は。これ言ってみれば夢オチみたいなもんじゃない。夢でした、って言われても、うーんこんだけ引っぱっといてなー、って気はちょっとしたんだよね」

 

52:35頃 岡田「作者の視点がね、途中までトシもモンも、良いところも悪いところも両方描こうっていう作者なりのバランスが見えたんだけど、最後の方で、モンは預言者であって正しいっていうのを作者自身も信じて描いてるみたいな、何か夜明けのポエムみたいな匂いがすごいしたんすよ」

大月「トシが後退していく印象は確かにありましたね」

 

53:36頃 岡田「潤子のあの殺され方とかあの最期を描いて、次にマリアのちょっと壊れ方を描いたら、もうここから先描きようがないって分かってるんだけども、でもここまで風呂敷広げてくれた作者にすごい期待しちゃうじゃないですか」

大月「気持ちは分かる分かる、それはね」

夏目「いやー、でもね、よくやったと思うよ」

大月「そうだよ。さっきも言ったけど畳めないのばっかだったよこのころ、はっきり言って。それは時代との相関関係でやっぱ、広げたいんだよ。だけど畳めなくなっちゃうんだみんな。それをむりやり畳んだってのはすごいよ」

いしかわ「ちょっともったいないよ」

大月「気持ちは分かる」

いしかわ「もっと上手く終われたと思うんだけどなー、せっかく面白かったのに」

石井「僕は個人的にはこの手の週刊でやってるもの、週刊連載とか、連載でえがいていく作品っていうのは、畳まなくてもいいぐらいに思ってるタイプなんですけどね」

大月「開きっぱなしでいいと」

石井「僕は、だから全然丸々オッケーなんですけど」

呉「つまりそれは、偉大なる失敗作でいいじゃないか、っていうことだよね。つまんない失敗作じゃだめだけど」

夏目「マンガってそういうとこあるんですよ。マンガの勇気だと思うよ、俺は」

 

54:30頃、エンディング。

大月「もう時間か、早いな」

岡田「マンガ夜話は楽しいねぇ」

笹峯「楽しかったですねー」

笑う夏目。

笹峯「また明日!」

 

 

 

【感想】

・愛ちゃんの良さが40過ぎて分かった。若い頃は分かってなかった。

・今回、気になるシーンの発言を全て書き起こしてから、段落分けして、要約出来るところを要約した。面白いシーンだけ書き起こすつもりが、気付いたらほぼ全てのシーンを書き起こしていたw。熱いマンガを語る人たちもまさに「金管鳴りっぱなし、弦も弾きっぱなし、ティンパニ鳴らしっぱなし」である。

・米映画「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(日本公開1995年2月)って、「世紀末もの」として関係あったりするのだろうか。

大月隆寛講演会「『懲戒解雇』以後-野の民俗学、再び」感想

 

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大月隆寛さんのTwitterを、毎日見ている。

一週間前にこのような案内を見かけ、行ってみた。

 

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このご時勢に開催してくれて、とてもありがたい。

今年6月に起きた不当解雇についての説明が、ご自身よりなされた。

以前、氏の授業が受けられないか、札幌国際大学の社会人講座や交通手段を調べたことがあった。よりにもよってこのような内容をかぶりつきで聴く日が来るとは。

 

「おかしいことがあった時、1人だと難しいけど、3人が肚くくって現場で声を上げれば抵抗できる」と仰っていたのが印象に残った。

また、当該大学に勤務するきっかけが公募だったと知り、意外だった。てっきり招かれて、競馬への思いから縁のない土地に行かれたと思っていたので。

「自分の身の丈に合った大学だと思っていた。僕が教えられることがいっぱいある、とそれなりにきちっとやっていたはずなんですけれども」と仰っていた。

 

会がお開きになり、自然と列ができた。

私は厚かましくも本2冊にサインをもらい、ツーショットまで撮ってもらった。

 

更には、打ち上げに潜り込み、参加者のご厚意で隣に座らせてもらった。なんという僥倖。

サイン会での私のはしゃぎっぷりからか、打ち上げ会場に向かう道中や席に着いてから複数回、「大月さんのどこが好きなのか」と聞かれた。

「言葉に体重乗ってるから」と答えた。

「セリフに体重乗ってるね」、BSマンガ夜話「真説ザ・ワールド・イズ・マイン」回からの孫引き。

 

初めて知ったのは、高校生か大学生の時。対談相手目当てで読んだ「地獄で仏」(文藝春秋)。

大学生の時からVHSテープに標準録画して繰り返し見た「BSマンガ夜話」。こちとらシフト勤務の接客業、一ヶ月切ってから発表になることが多かった公開収録に、何度も足を運んだ。2007年11月28日放送の「真説ザ・ワールド・イズ・マイン」回、「大月の目」コーナーで「今“格差”とか何とか言ってますけども、今の我々の貧乏は食べられない貧乏じゃないんだけども、こういう具合に狭い空間にうっかりと100円ショップで買ったものが増えていくような、そういう貧しさなんですね。それを貧しさと言っていいのか分かんないんだけども」(25分13秒/55分。コーナー開始は21分55秒頃より)というくだりに震えた28歳。

不惑で迎えた今回のコロナ騒動、急激な管理社会化にどう対峙するのかという議論が巻き起こる中、「地獄で仏」第3章「オウムの暴走は人類に対する犯罪である」(1995年6月)、「オウム事件、『東スポ』が地味に見えた」(同7月)を読み返した。

青年期に受けた影響は、きっと残り続ける。何かあるたびに私は「地獄で仏」を紐解いたり、「BSマンガ夜話」を見返したりするのだろう。

 

「義を見てせざるは勇無きなり」の心で面倒くさい役どころを引き受けてくださった方にこんなことを言うのは水を差す行為かもしれないが、こんな素晴らしい知性を裁判でいろいろ消耗させるのはもったいない、と正直思う。

私に出来ることといえば、読者でいること、だ。

裁判の早期解決を願いながら、著書やブログ、ネット上のアーカイブを読み返す。きっとそれだけでも、わずかながら力になれるはずだ。

まずは氏のブログの好きなエントリ、「からあげクン、と、天皇」(2019年5月1日)から読み返してみよう。