視聴メモ・BSマンガ夜話「真説ザ・ワールド・イズ・マイン」
シリーズ第33弾 第130回 2007年11月28日(水) 午前00:00~午前00:55 放送
作者:新井英樹(1963年-)
1997年~2001年:週刊ヤングサンデーにて「ザ・ワールド・イズ・マイン」連載。
2006年:大幅加筆修正された「真説ザ・ワールド・イズ・マイン」出版。
※敬称略
※「」内発言は少し整えている箇所あり
00:22頃 大月隆寛「大変長らくお待たせいたしました。2年9ヶ月ぶりです」
笹峯あい「はぁ~い、お久しぶりでーーーーーす。帰ってきましたー」
00:56頃 石井正則「リアルタイムで読んでいた世代なので」
呉智英「新井英樹の最高傑作ですね」(大月の「この作品をどう見ますか」という振りに対して)
08:22頃 大月、石井に読者代表として、連載当時の状況を聞いていく。
大月「どう読みましたか、当時は」
石井「当時は1990年の終わりという、時代との流れでやっぱり読んでた感じはありましたね」
大月「高校生くらい?」
石井「いえ、もっと上ですね。もうこの世界に入っていたと思います」
大月「雑誌で読んでた?」
石井「雑誌で読んでましたね」
大月「周りで読んでる人いました?」
石井「僕の周りはそんなにいなかったですね。僕だけ熱狂してました一人で。いっぱい言うんですけど、あまり共感してもらえない感じもありましたね」
笹峯「当時から熱狂されてたんですか?」
石井「僕すごい盛り上がってました。で、連載の時、後半だんだんペースが遅くなっていったんですよ。後半やきもきしてる感じがありました」
大月「部屋の中で何週間も続いたりね」
笹峯「これあいだ空くと結構きついですよね」
石井「それで改めて単行本になって読んで、もう一度読み返して、っていうところでだんだん思いが熱くなっていった感じはありますね」
大月「どの辺が熱くなった原因なんですか?」
石井「僕はもうキャラクターですね」
大月「誰に?」
石井「トシですね」
大月「やっぱトシなんだ」
石井「やっぱトシですね」
大月「思い入れがあった?」
石井「もうものすごい思い入れがありました。だから今回、真説になって一番びっくりしたのが、最後のほうに、トシが、雪山の中で、“吐き気するほどボク…人間のスタンダードや”っていうセリフがあるんですけど、僕あのセリフが一番印象に残ったんですよ。俺もっとデカく書いてあると思ってたんです。それで読み返してみたら意外とサラッといった、みたいな」
他の出演者「(笑)」
石井「あれ、俺これ一番立ってるセリフだと」
大月「もっとこんなデカい活字で」
石井「コマも大きくて、だと思ったら意外にサラッと」
岡田斗司夫「落ち着いて考えてみたらあれがでかゼリフのはずないよね」
石井「ですけど、僕の中ではすごく残ってたんですよね、印象に」
大月「スタンダードや、ってね」
石井「はい。あれだけのことがあったのにもかかわらずっていうのが。タイムリーに読んでたら余計に強く印象に残っていたんですね」
10:30頃 大月、掲載誌についていしかわじゅんに振る。いしかわ「大手の中ではちょっと地味なメディアだった」とのこと。
石井「そうだったんですか!? 僕の中ではトップでしたから。今一番コレでしょ、みたいな勢いでしたよ」
他の出演者「(笑)」
大月「脇で何やってたの? この雑誌、当時は他に」
石井「他は、『マイナス』とかありましたね」
岡田「問題作ばっかりだ(笑)」
11:28頃 大月、夏目房之介に振る。夏目はリアルタイムでは読んでおらず、真説しか読んでいないとのこと。
夏目「部屋の中で密閉された状態を描くの上手いよね、あれで引くんだよね」
大月「密室がまた何回もあるでしょ」
夏目「普通はそこで滞るんだけど、上手いんだよ。滞り方が上手い」
13:00頃 呉、当時様々な年度アンケートや賞に推薦していたが、一般受けしなかったと語る。真説は売れないと思っていたら、すぐ増刷になったことに驚く。
大月「去年の段階でしょ? だからおそらく最初の回の時売れたんじゃないのかな、一気に」
岡田「連載の時からね、ものすごい評価する人がいるんだけど、同じくらい拒否反応を示す人もいっぱいいたからね」
呉「まぁ濃いからね。『宮本から君へ』の時もそうだけど、熱いっていえばいいけど熱すぎる、クドい、クドすぎるみたいな」
大月「うっとうしいっていうのもあるからね」
笹峯「ほんとう」
呉「オーケストラでいうとさ、最初から金管鳴りっぱなし、弦も弾きっぱなし、ティンパニ鳴らしっぱなしじゃない。もう熱くてさ」
いしかわ「このタイプはもう、これが好きな人はこれじゃなくちゃダメだけど、そうでもない普通のマンガ読みはちょっとつらいよな」
石井「かもしんないですね」
笹峯「間隔を空けられるのもつらいけど、これだけ持ってこられるのも私つらくって、3冊読んでから、2週間くらいあいだ空けたんですよ、一気に読めなくて。しんどくて」
大月「こんな熱いかって怒ってたもんね」
呉「マンガの中のドリアンみたいなもんだと思ってね」
大月「クセがある」
いしかわ「部屋に持って入っちゃいけない」
14:57頃 石井「真説で久々に読んだら、逆に意外にアレあっさりしてるなって思っちゃうんです」
笹峯「えー」
大月「印象変わったでしょ? 分かる分かる」
石井「タイムリーに読んでた時の印象が強すぎて、もっと濃かったふうに思ってるんですよ」
大月「すごい書き換えたような印象あるんですよ。でもスタッフが今回がんばって対照表とか作ってくれたんだけど、そんなに構成とか変えてないのね。絵とかネームをいじってるぐらいで。エッて感じなんですよ」
呉「37ページがちょっとね、入れてるけども前半はね、ちょっと変えてるだけですよ」
15:28頃 いしかわ「たぶんね、ヤングサンデーの普通の連載の中にこれが一本入ってたら、これの印象は強烈じゃない。俺はとんでもないもんを読んでるって意識で読んでるんだよね」
岡田「となり、原秀則なんかでしょう?」
呉「とがしやすたかとかね」
いしかわ「これだけで読んでみれば、重いんだけど、こういうもんだからね。連載の中で読んでるのとは違うよね」
石井「連載の時、最後でしたもんね(掲載誌での並びが)」
夏目「まぁでも拒否反応があって、当たり前の作品っていうか、これ拒否反応あるのが普通だと思うよ」
大月「正直、連載をリアルタイムで追っかけていた人はすんごく少なかったと思いますよ。単行本になって、あ、こういう作品だったんだってやっと分かったっていう状況で、それでもさっき呉さん仰ったみたいに一般化はしてない」
呉「評論家受けしてたんだよね」
いしかわ「この厚さっていうのはかえって読み易かったんじゃないかな。200ページの単行本よりも、こっちのほうが、読みたい人にとっては読み易かったんじゃないかな」
呉「まとまってるからね」
16:56頃 呉「キャラがみんなどれもこれも濃いじゃん。(中略)特にモンちゃんの愛人になるオバさんね」
大月「バアさん、大好きなんだよ俺」
呉「あれ大月くん好きそうな感じでしょう。あれがねー、濃いんだよね。この第1巻のところのさ、最初の辺の出てくるところなんかもさ、最初っから顔にシミ付けた汚ねぇババアでさ、すごいイイんだよね、これが」
夏目「マリアも含めて他の若い女のほうが全然エロくないのよ」
大月「ババアが一番エロいんですよ」
夏目「逆なんだよ」
17:56頃 いしかわ「このマンガを読んで、俺はギャグマンガと同じ構造だなと思ったの」
大月「おう」
呉「面白いじゃん」
いしかわ「キャラクターそれぞれの振り幅がすごく広くとってあって、大きいイベントを作ってその中に濃いキャラいっぱい放り込んで、あとは好きに動いて、っていうやり方のギャグマンガがあるんだよ。それとすごく似てるっていうか、同じ構造なの。1980年前後に俺は、ギャグマンガで日本を転覆する話とか、世界の秩序が無茶苦茶になっちゃうっていう長編のギャグマンガを何本も描いたんだけど、それとね、読んでて同じ構造だ、と思って」
大月「そうか、いしかわさんが『約束の地』とかでやったことなんだ、これ」
いしかわ「1980年前後ってね、まだ70年安保が終わって10年だけど、まだね、世間が熱かったんだよ。世間の熱の名残があったの。だからね、あそこでテンション高いもの描こうと思ったら、テンション高いとこの上にもうひとつ高くしなきゃいけないんで、これはギャグでしか描けなかった」
大月「そうか、お笑いにしなきゃ描けなかったんだ」
いしかわ「この世界を今描くとシリアスになるんだ、と思って」
20:55頃 岡田、呉が影響を指摘するいましろたかし『デメキング』に続いて、岩明均『寄生獣』との類似性を指摘する。
21:20頃 夏目、阪神・淡路大震災(1995年1月)と地下鉄サリン事件(同3月)の影響を指摘する。また、連載時期が出版売り上げのピークアウトと重なる旨も指摘。
夏目「この辺はね、本当は俺が語るべきより、呉さんや大月さんが語るべきなんだよね。大月さんの意見を、ここで聞きたいんだよね」と、大月の解説へと促す。
21:52頃~28:00頃 「大月の目」コーナー(ここだけ全文掲載)
「えー、すいません夏目さんに先駆けて今日はやらせていただきます。マキバオー以来かな、ひょっとして。
何が言いたいかとまぁワールドイズマイン、さっきも言いましたようにこれはもう夜話が中断する前からぜひやりたいと僕ずっと言っていたんでありますけれども、言いたいことは山程ありますが今日はちょっと絞ります。
さっきもちょっと出ましたけども、とにかく、この時代これだけ風呂敷を広げて、まぁむりやり畳んだ腕力はすごいな、というのがまずあるんですね。畳めなかった作品、枚挙にいとまがないですから、この時期。何がとは言いませんけども『ドラゴンヘッド』でありますとかですね、『○○』(←聞き取れず)とか色々いらっしゃいますけども、とにかく畳もうとして尚且つ真説でもういっぺん書き直そうともしたってことはすごいと思う。
その結果、原因が何かというと、ディテールなんですね。日常を描く力ってのがすごいんじゃないか、っていうのを語りたいと思います。
まずちょっと絵を出してください。はい、これマリアの家なんですけども、何でもないと思うでしょ? 思うんだけどもとにかくこの“場”ですよね、空間の描きこみ具合っていうの何だろう、テーブルとか描くのはいいんですけれどこの背景ですよ、レースのカバー、あったね応接室にこういうのあったねレース。どこで生産してるとか色々あるんですけれども。あと、このサイドボードのたたずまいですよ。訳の分かんない将棋の駒とかですね、何だかの優勝カップとかこういう置物を描いてる。しかもここに何か訳の分からない獣の首かなんかあったりして。テレビの上にこういう派手な時計があったりするという、こういう物もひっくるめて今の我々の日常であるという視線がこの人あるんですよね。
で、もちろん真説のほうではロングインタビューなんか載っててみなさんご覧になって分かると思いますけれども、取材は綿密にやってます。編集なんかもけっこうがんばってるんだと思うんですけれども、いまどきのことだからもちろんデジカメなんかでも撮って、それを基に書いたりもするんだろうけども、書く時にやっぱ意識しているから描き込めるんですよ、これ。この人の日常の描き込み具合みたいなものが、実はバイオレンスだとか、暴力だとか、あるいは残酷なシーンが多いとかって色んな物議醸したりしたんだけども、それを活かす書き割りになってるんですね。そこが僕すごいとまず思った、ってことなんです。特にまぁ、これは最初のほうですけれども、次ちょっと出してください。
はい、僕が一番ね、最初読んだ時に衝撃、強烈な印象があったのがこのシーンなんですよ。これあの潤子ちゃんですよね。マリアの友達で、この後密室に閉じ込められてえらいことになるんですけれども、この部屋です。部屋のほうに俺印象強くて、これ見えるかな、これ子供箪笥ですよ。ウサギの絵が描いてあるんだけれども細かい点々とかあるんだけど、これプリクラとか落書きなんですよねおそらくね。描き込んであんだよ。で、ここに何か訳の分かんないもん二つある。何だろうなと後で分かるんですけども、空気入れる枕っていうか座布団みたいなね、カエルの顔してんですよ、後で分かるんだよね。あと上の様々なぬいぐるみとか何とか、あと高校時代この人ちょっとアート系入ってましたから、描いてた絵であろうかとかそういう、日常のどうでもいいもんが何でここまでこの人描くのっていうくらい描くんですよこれ。描くってことは意識してるんですよ。で、それがあるから、子供泣き止まなくてヤンママ困ってる訳ですよ。その部分がこういう日常の中にあるんだ、ということを、感覚として読んでる側に分からせるんですね。我々の日常はこうである、しかも今“格差”とか何とか言ってますけども、今の我々の貧乏は食べられない貧乏じゃないんだけども、こういう具合に狭い空間にうっかりと100円ショップで買ったものが増えていくような、そういう貧しさなんですね。それを貧しさと言っていいのか分かんないんだけども。そういったものをひしひしと感じさせる前提があるから、どんな殺戮描いてもいや~な切迫感がある、そういうことなんです。はい次ちょっと行ってください。
はい、気ィ抜くとこうなるんですね、この人。アシスタントが描いてるのか分かんないけれども、これ何でもない背景になっちゃうんです。カバンはカバンというものでしかないし、コタツだし、ただのテレビだし、本棚だって別に何が詰まってるかまではおそらく目がいってないんです。これあの夏目さんとかに聞いてみたい気がするんですけど、普通に気ィ抜いて書くとこういう、ただの背景になるんですよね。なのに、はい次、お願いします。
さっきのその、潤子の部屋ですよ。リバースから、別のアングルからも全部これ正確に描いてるんですよね。いわゆるホームエレクター、あ商品名言っちゃいけない、こういう、よく流行りの作りつけの組み立ての戸棚とかですね、さっきのチェストみたいなものもちゃんと描いてありますよね。こういうありますよね、子機がこういうたたずまいである、光ってんですねこれきっとね。こういうものまで全部描き込んだ上で、その上で殺戮シーンが来るというところの関係性が一番リアルである、っていうところがすげぇなと思ったんです。はい次お願いします。
逆から見たらこれですよ。さっきのカエルのその変な、カーテンレールの上にあったところから見たらこういう視点になる、画角はこうなんですよね。こっち側もちゃんと描いてある。で、もちろん残酷ですよ、あまり大写しにできないような酷い状態なんだけども、でもそれがそういう日常の中にあるということによって、合わせ技で怖い、何か伝わって来るものがあるっていうところ。だから、まぁ口幅ったいですけれどもリアルをえがけるだけの何か、視点といいますかね、出力と言ったら僕なんか言うとあれですけれども、あるんだと。そこがやっぱり、マキバオーなんかとは違う意味でね、今の我々のリアル、日常をこういう風に狭くなってるんだ、モノが埋まってるんだ、さっきのあれもありましたね、バスルームで殺すじゃないですか、狭いね、ユニットバスのあるとこで。あすこにそのバラバラの死体が詰まってる感じってのが分かるから嫌なんですよ。だから、戦場なんかのシーンもこの人描いてますけども、そっちは別に淡々と見れるんですよね。
日常でそういうものがあるってことの、その日常の部分をちゃんとディテール込めて描き込めるっていうとこが、この人の一番の強みであり、それをやった作業というのが前提にあるからこそ、この作品は物議を醸すものになった。
実は残酷が問題じゃなくて、残酷の背景にある文脈を描き込む力が問題だ、ということをちょっと言いたかったので、立たせていただきました。どうも失礼しました」
28:01頃 いしかわ「確かにそうなの。ほんとにそうだと思う。マンガってね、読者はあんまり気が付かないけど、自分で描かないと画面には何も現れないんだよね」
大月「意識しないと描かないでしょ」
いしかわ「あらゆるものはマンガ家かアシスタントが描かないと、つまりアシスタントが描くってことはマンガ家が描けって言ったことなんだけど、ここにこういうものを描けって言わないと画面に現れてこないんだよね。だからあらゆるものは意識して描かれてる、ということがすごい大事なんだよね。(中略)このマンガってさ、背景がすんごい偏執狂的に入ってる。こんなにね、全コマにぎっちり写真をトレースした背景が入るってことは、まずないんだよ。こんなにね、背景を入れることってまずない。この人たぶんもう、埋めずにはいられないんだと思うんだけど」
(中略)
いしかわ「街の風景はね、写真を持ってきて、こんな風に描いて、ここはこんな感じにねって言えば何とかそこそこになるんだけど、部屋の中はね、ほんとにリアルなだけに取捨選択がいるんだよね」
大月「指示するにも意識してなきゃできないもんね」
いしかわ「ポットはここに立てて、電話はここに立てて、そういうね、何をどこに置くか、何を取捨選択するかっていうリアルな目がこの人の持ち味なんだよね。その背景があるからこそ、物語が活きるんだよなぁ」
大月「舞台装置とか作るのと近いんですよ、これって。考現学の吉田謙吉さんですけどね、僕に言わすと」
30:25頃 夏目「大月さんさすが民俗学者の目なんだよ。でね、それはその通り。だけど俺が聞きたいのは、なぜそれが必要だったかってことで」
大月「そう思ったか、ですよ」
夏目「つまりね、たぶん、フィクションをやりたかった。この人が言ってるのは、要するに、地球ぶっ壊すくらいのフィクションを作った、ってインタビューで言ってるってことは」
大月「“作り物”がやりたかったんです」
夏目「そう作り物をやるためにリアルが必要だった。作り物をやるために本当に地べた這うようなリアルが、彼にとっては必要だったんで、それは何で必要だったかというとたぶん僕はやっぱり’95年以降の現象だからだと思うんだよね」
大月「それは時代でしょうね」
30:58頃 呉、作者が影響を受けたであろう本を紹介。ハドリー・チェイス『世界をおれのポケットに』(日本語訳版・創元推理文庫・1965年初版)。
呉「こういう本があるんですよ。『世界をおれのポケットに』って、ワールド・イズ・マインと同じでしょ?」
大月「タイトル一緒だよね」
呉「しかもね、中開けるとね、ここにあの英語の原題が、オリジナルタイトルがここにあるんですけど、これを見るとですね」
大月「The World in My Pocket」
呉「これ略称でワールド・イズ・マインのことをさ、“TWIM”なんて言うんだけど、全く同じなのね。これね、我々の世代はみんな、みんなじゃないけどこういう、ハードボイルド、ギャング物なんだけれども内容は…」
大月「いわゆるハードボイルドですか、それ」
呉「ハードボイルドなんですよ。ギャング物なんですよ。読んでるんだよね。おそらくね、このタイトルをヒントに得て、じゃあ俺ならこういう形でね、やってやるっていうのがね、あの熱い時代を。今あんまり、こういうハードボイルドのこれ、読まれないよね。これも絶版になってるんでしょうがないんで俺このボロボロの表紙の取れたやつ持ってきたんだけれどもね。そういうのがやっぱあると思うんですよ」
32:38頃 大月、“作り物をやるためのリアル=舞台装置”という観点から石井に振る。
石井「コントの場合、想像していただくしかないので、逆に何もない状態で、どこまで、自分達が人間を演じることで、後ろに背景が見えてくるようにするかっていうのが楽しい、っていうのもあるんですよ」
笹峯「うんうん」
石井「だから先程の、街とかよりも、人の生活の中のほうのディテールがすごく細かかったっていうのは、完全に人間をえがいてるんだよな、ってことなんだと思うんです。(後略)」
夏目「いやたぶんね、人間じゃないものがえがきたかったんですよ。○○(←聞き取れず)のほうがえがきたかった」
大月「怪力乱神を語りたかったんですよ」
いしかわ「空虚だよね」
33:47頃 岡田、怪獣マンガとしての見立てを語る。『ゴジラ』からの『ガメラ』、本作の衝撃。
それに真っ向から対立するいしかわ。ヒグマドンの描き方について「がっかりした」「(全貌を)ずーっと出さずに幻想だけで行ったほうが面白かった」と話す。
議論は続き、
岡田「部屋の中を綿密に描くのと同じ視点で描いたら、やっぱこうなっちゃうんじゃないんですか」
いしかわ「それは逆だよ。描かないほうがリアルになるってことはもちろんあるからね」
(中略)
いしかわ「この人はたぶん、精神を描きたかったんだよね。精神はさ、見せないほうが精神が出てくると思う」
岡田「ヒグマドンがあるからこれすごいと思った」
いしかわ「俺もヒグマドンは面白かった。大殺戮があってヒグマドンがあって、その二つが並行して進んでいく、これが面白かったんだけど、ヒグマドンは現物を出さなくても良かったな、と俺は思う」
そこに、37:03頃 笹峯「マンガ夜話っぽくなってきましたね(棒)。はい、じゃあここで夏目の目に行きたいと思います。夏目さんお願いします」
岡田「お姉さんのむりやり進行(笑)」
大月「相変わらず剛腕」
石井「進行しないといけないですもんね。僕もバラエティー班なんですごい気になっちゃいました、進行」
いしかわ「大丈夫」
大月「大丈夫、大丈夫。全然、こういう感じで」
笹峯「ふふふ」
37:03頃~44:03頃 「夏目の目」コーナー
1:トシとモン、二人の少年の顔の変化について
→モンの知性化(聖化)と、トシの凶悪化
→骨格が変わっている
→聖と俗の落差を作る為に二人の変化はあった
→二人の目の変化を一覧に
2:「大月の目」の別視点
→人は、残酷描写を残酷と感じるのではない。例えば『北斗の拳』が、あまり残酷に見えずむしろ爽快に見えるのは、内面に引き込むということをしていないから。
→4巻224P~、黒いナレーションが全体を浸食していく場面の解説。読者を内面に引き込んだあげく、“向こう”に連れていく構造。
「この強さが、フィクションの強さ。おそらく、この作家は、フィクションというものを現実に対して強度を試したかったんだと思いますね」
→潤子の部屋、潤子が殺される直前にトシの目に映った自分を見るシーン。読者を同一化させる、典型的な手法。
「どれだけ強く読者を内面に引き込んで、リアリティーを現前化させるか。そのことによって、もうこれ、大ぼらな話なんですからね。もうまるっきり虚構のフィクションの極みなんですよ。それを、現実よりも強いものだという提示の仕方をしたかったっていうのがたぶん、この人の意図だったろうと思います」
44:07頃 いしかわ、「なぜ作者は本作にて執拗に鼻の穴を描くのか」を語る。
4年間の連載で、作者はずっと鼻の穴を描き続けていたが、物語のラスト、“きれいな顔”になった頃には、描かなくなった。それには何か意味がある。
いしかわ「アップにするっていうのはね、大きく描くってことではないんだよ。アップにするっていうのは、視点が一歩前に寄るってことなんだよ。対象に一歩近づく、一歩前に出て対象をより覗き込むっていうのがアップなんだよ。グッとアップになって鼻の穴を覗き込むっていうのはさ、まぁ言ってみれば相手の体の中を、心の中を、相手の中を見るってことだと思うんだよね。このトシとモンの二人の中に入っていかないと、たぶん読者はこの人達が何やってるか分かんないんだよね。でも最後の最後、もうこいつらは見るだけで分かる存在になってしまった。こいつらって最後は一人だけど。だからね、たぶん鼻の穴を描かなくなったんじゃないかって気がするの」
大月「そこまで寄る必要がなくなったってこと?」
いしかわ「本人がそう描いてたかどうか分かんないけど、そういう意味があるんじゃないかなって気がするんだよね。そうじゃないとね、あそこまで鼻の穴のアップばっかり描いてた理由がね、分かんない」
夏目「モンもマリアもね、たぶん鼻の穴描かれなくなった時には向こう側にいるんだよ」
大月「もうすでにね。こっちじゃないのね」
夏目「トシだけが境界線にいるんだよ。だから最後になぶり殺しになるのは、彼、人間だからなんだよ」
46:20頃 大月「トシがかわいそうでさぁ。トシにばっかり俺目が行くんだよ」
石井「僕も完全トシですね」
呉「トシはさぁ、モンに惚れちゃってるじゃん」
大月「恋愛ですからね、これはっきりいって」
呉「だってさ、第5巻のとこなんかさ、目が完全にさ、オンナの目になってる。第5巻のちょっとここ出してくれる?」
大月「トシはオンナで、モンがオヤジなんですよこれ。要するに」
呉「観覧車に乗ってるところ、出ます? この顔をさ、モンちゃんがさ、トシにさ愛情を乞う“トシ…カッコいい”って言われた時にさ、この目とかこの辺さ、完全にオンナになっちゃってるよこれ」
大月「俺トシを中心にした少女マンガとして読んだって言ったらみんなに笑われましたからね」
石井「すごい分かります」
呉「ほんとそうだよ、これは」
岡田「一貫してトシもモンも両方とも、女性みたいなものに出会って堕落する、みたいな話でしょ、言ってしまえば」
大月「そう。その通り」
岡田「イブがまず悪魔に誘惑されて、イブがアダムに林檎勧めてそれで堕落するっていうやつをやってるから、かなり忠実なキリスト教の神話の再現やろうとしてるんですよ」
47:23頃 視聴者コメントコーナー。愛ちゃんが読み上げる。
カンバラさん26歳・メール投稿「好きです。いいセリフ山盛りのこの作品ですが、どれか一つ選ぶなら、ジャンボ伊丹が某局長を評した“セリフに体重乗ってるね”に尽きるのではないでしょうか」
夏目「これ名言多いよ。“バカは罪だ!!”もすごいよ」
大月「“バカは罪だ!!”、呉智英さんなんかしょっちゅう言ってるようなことです」
呉「言ってんだよね~」
いしかわ「『バカにつける薬』」
48:08頃 呉、暴力シーンをどう考えるかということで、本居宣長の歌論『あしわけをぶね』を引用する。
呉「歌の中には、政のたすけとなる歌もあるべし、そういうのもあるだろう。また身のいましめとなる歌もあるだろう。でもまた国家の害ともなるべし、身のわざわいともなるべし、って言ってんだよね」
大月「表現論だね」
呉「そういうものがあっても、人間の真実がえがかれているものはね、芸術であり文化であるってね、本居宣長が言ってるんだよね、大和心の本居宣長」
岡田「でも、迷惑だって言ってる訳でしょ?」
呉「いやいやいや、迷惑じゃない、こういうのもあって、芸術っていうのはこういうもんなんだ」
岡田「芸術とはそういうものでも、でも迷惑なんでしょ?」
呉「もちろん迷惑。迷惑もあり、いいものもあるわけだよ」
岡田「だから“私はみんなを幸せにするために来たと思うな、災いをもたらしに来たんだ”と言ってる訳でしょ?」
呉「イエスもそう言ってる訳だからね」
大月「迷惑もかける楽しいマンガ、ってことですよね」
岡田「困ったもんだな(笑)」
呉「困ったもんですよ、芸術とか文化っていうものは。面倒くさいもんなんだから」
49:42頃 大月「だから連載の時、やっぱ残虐シーンとかばっかりみんな印象に残ってると思うんですよ。だから分かんなかったんだと思うよ、これ」
石井「だから真説が出たっていうのはすごくやっぱり」
大月「通しで見てこういうことか、ってやっと分かったって人多いと思う」
岡田「ただね、作品っていうのは別に通して見るもんだけじゃなくて、途中で見て評価する場合もあるし、最後まで読んでどうだって言われても困るじゃないですか」
大月「そりゃそうだ」
岡田「途中で見て嫌になってやめる人もいるから、ここら辺、作者のさじ加減ですよね」
50:24頃 岡田、「ラストは失敗作じゃないかと思ってる」とぶっ込む。
いしかわがそれに賛同する。
岡田「さっき『寄生獣』との対比で言ったんすけれども、『寄生獣』って人間と文明との関係描く時に最後はプライベートな問題に落としていくから、ラストちゃんと終われたんだけども、これ、人類の問題に持っていっちゃったから、そんなの描けるはずがない、の領域にいっちゃって、最後ありがちなSFになっちゃった」
いしかわ「これさ、終わり方に賛否両論あった、みたいなことをこのロングインタビューとかにも書かれてるけど、賛も否もなくてただの失敗じゃん、と俺は思うんだけどね。つまんない終わり方しちゃったなー」
51:02頃 岡田「5巻の最後のほうの終わり方って、ためらい傷ばっかりが多くてちゃんと終われなかったみたいに感じるんすよ。(中略)最後は『火の鳥』の焼き直しみたいになって終わっちゃう」
石井「連載してた時も、あきらかに、ちょうど跨いだじゃないですか2000年を。そのラスト辺りから、“今週はお休みします”が多くなった記憶があるんですよ、僕の中で」
大月「畳み方探してたんだ」
呉「いや、自分で持ちきれなくなったんだよね」
石井「世紀末に向かっていく時代に向けてグワーッと行った時は、連載毎週ちゃんとやってたのに、そこ抜けた瞬間に、僕ら自体もそこ、あーっていう感じあったじゃないですか、何か。2000年を越えた時」
岡田「だからね、『沈黙の艦隊』もね、これ最後どうするんだっていって、あ、こんな終わり方か、みたいなちょっとがっかり感があったように、ワールドイズマインも終わりがっかり感あったんだけど」
笹峯「でも私はヒグマドンがあったから、ああいう終わり方されても、お話としてすごいちゃんと成立した終わり方をされたなーって」
大月「畳んだもん」
いしかわ「一応終わったけど、この終わり方はないよな、って気は。これ言ってみれば夢オチみたいなもんじゃない。夢でした、って言われても、うーんこんだけ引っぱっといてなー、って気はちょっとしたんだよね」
52:35頃 岡田「作者の視点がね、途中までトシもモンも、良いところも悪いところも両方描こうっていう作者なりのバランスが見えたんだけど、最後の方で、モンは預言者であって正しいっていうのを作者自身も信じて描いてるみたいな、何か夜明けのポエムみたいな匂いがすごいしたんすよ」
大月「トシが後退していく印象は確かにありましたね」
53:36頃 岡田「潤子のあの殺され方とかあの最期を描いて、次にマリアのちょっと壊れ方を描いたら、もうここから先描きようがないって分かってるんだけども、でもここまで風呂敷広げてくれた作者にすごい期待しちゃうじゃないですか」
大月「気持ちは分かる分かる、それはね」
夏目「いやー、でもね、よくやったと思うよ」
大月「そうだよ。さっきも言ったけど畳めないのばっかだったよこのころ、はっきり言って。それは時代との相関関係でやっぱ、広げたいんだよ。だけど畳めなくなっちゃうんだみんな。それをむりやり畳んだってのはすごいよ」
いしかわ「ちょっともったいないよ」
大月「気持ちは分かる」
いしかわ「もっと上手く終われたと思うんだけどなー、せっかく面白かったのに」
石井「僕は個人的にはこの手の週刊でやってるもの、週刊連載とか、連載でえがいていく作品っていうのは、畳まなくてもいいぐらいに思ってるタイプなんですけどね」
大月「開きっぱなしでいいと」
石井「僕は、だから全然丸々オッケーなんですけど」
呉「つまりそれは、偉大なる失敗作でいいじゃないか、っていうことだよね。つまんない失敗作じゃだめだけど」
夏目「マンガってそういうとこあるんですよ。マンガの勇気だと思うよ、俺は」
54:30頃、エンディング。
大月「もう時間か、早いな」
岡田「マンガ夜話は楽しいねぇ」
笹峯「楽しかったですねー」
笑う夏目。
笹峯「また明日!」
【感想】
・愛ちゃんの良さが40過ぎて分かった。若い頃は分かってなかった。
・今回、気になるシーンの発言を全て書き起こしてから、段落分けして、要約出来るところを要約した。面白いシーンだけ書き起こすつもりが、気付いたらほぼ全てのシーンを書き起こしていたw。熱いマンガを語る人たちもまさに「金管鳴りっぱなし、弦も弾きっぱなし、ティンパニ鳴らしっぱなし」である。
・米映画「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(日本公開1995年2月)って、「世紀末もの」として関係あったりするのだろうか。